強く主張してくるわけではない。けれど、なぜか心を引き寄せられる──そんな出会いがある。アベンチュリングリーンと呼ばれるその深緑のポルシェは、偶然という言葉の奥に、確かな必然を秘めていた。選んだというより、出会ってしまったと思える一台。
大切に扱われてきた時間は、古さを価値に変える。時を止めたかのような佇まいも、滑らかな走りも、すべてが過ごされた時間の証だ。このシーマには、その積み重ねがある。
もし、普段使いできるロールス・ロイスがあったとしたら?そんな空想に、現実味を与えてくれるのがこの一台だった。レンジローバー・オートバイオグラフィは、「ラグジュアリーSUV」という言葉の、ひとつの完成形だと思えた。
北欧の航空機メーカーが手がけたサーブ900には、デザインにも走りにも哲学が宿っていた。丁寧に整備を重ねながら、12万kmを走り続けてきたこの一台に触れて、その思想の輪郭が、確かなかたちとなって伝わってきた。
SUVという枠組みにありながら、アストンマーティンが持っている“スポーツカーの本能”を思わず感じてしまう瞬間がある。DBXは、そんな感覚にふと出会えるクルマだ。
「水平対向エンジン」「ターボ」「4WD」。その文字だけで、今でも心が躍る。走行9,000kmの希少な個体を前に、90年代の機能美とこだわりが、時代を超えてなお響く理由を確かめた。
便利も、静かさも、もう十分。だからこそ、いま必要なのは“操る楽しさ”の密度だ。かわいい顔をして、毒を持つ。アバルト695トリビュート131ラリーは、そんな一台だ。
定番のGクラスらしさから少し離れて、それでも確かな存在感を放つ1台。見せびらかすためではなく、自分の感覚にフィットする。そんなGクラスと過ごす時間に、確かな心地よさを感じた。
走行わずか6000km、20年を経たとは思えないコンディションのニュービートル・カブリオレは、時代の空気とつくり手の意志をストレートに伝えてくる。
工業製品における死蔵と動態保存は似て非なるものである。時が止まっていたかのような、とはよく使われる表現だが、それが暮らしに寄り添うクルマとなると話は全く別だ。
クルマの機構どうこうを長ったらしく語るより、座った時にこのクルマから見える景色がどう映るのかを語るのも悪くない。そんなクルマの選び方をすることもある種の贅沢だ。
重厚さと軽やかさ、伝統と洗練。そのどちらかを主張しすぎることなく、静かに両立させた一台。乗るたびに、このクルマの“ちょうどよさ”がじわりと効いてくる。