街中ですれ違うことの少ないクルマというのは意外に多い。すれ違いや、ほんの隙間から見えたその刹那、「なんだアレ?」と思わせる時点でもうデザイナーの勝利なのである。
クラッチを踏む。その時々に必要なギアを自分で選びながら、音楽を聴き、余計な機能が一切付随しないハンドルを切り、走る。これでいいのだ。クルマは純粋無垢でいいのだ。
「ドイツの血が混じった」と言われるが、「混じった」とは輸血程度のものか、はたまた混血児か? ここは是非ご自身でステアリングを握り、体感してから判断頂きたい。
イタリアの考える人馬一体感を味わえる一台フィアット・バルケッタ。1090kgという重量にオープンボディとFFを組み合わせ、MTで駆る一台は不思議な調和を見せる。
車種に限定すると、硬派と軟派なファン層が混同するクルマは多くない。「G」には某RRレイアウトのように、諸行無常のなかにも頑固な意思が共通して存在するからだろう。
アウディ、ビーエム、ベンツ。それほどクルマに興味が無くとも、イメージは様々だが大多数が認知している。ではこれならどうだ。その名も並行車のみの「アウディA2」だ。
同社初の「FF」に対し、とあるBMWディーラーのサービスフロントが言った。「FFとかそんな事何も考えんどきゃいいんですよ」。乗って初めて彼の発言の意図を知った。
あらゆる機構をサーキット出自の技術で固めながら、「上屋が開く」というサーキット出自でないボディで包む。結局「人を魅了する」とは、そういうギャップではないのか。
ドラマを全く見ない人。曰く、いちいち他人事で翌週まで感情を引き延ばされ自分を乱されたくないのだと。腑に落ちるかもしれぬ。
ポルシェを買おう。と思ったのはいいが、駆動方式からグレード、オプションと嬉しい悲鳴のような複雑さがある。一つ一つ選ぶも良し、GTSで。と片づけるもこれまた良し。
同じ本でも幼い頃の感想と年数を経た「今」の感想は全く違うことがある。人生経験や価値観の変化で新たな角度から意外な発見があるものだ。996は今その時期ではないか?
潔く左ハンドルの3ペダルのみ。パフォーマンスはドライバーが引き出すものと主張する206RC。WRCの血統「アナログ世代最終のホットハッチ」という結論ここにあり。