マイアミブルーの鮮烈な青と赤いレザー。7速マニュアルの手応えある操作感。ひとつひとつの仕様が、この911を代わりの効かない一台にしている。このモデルではなく、この個体だからこそ選びたくなる。
走り出せば気分が晴れる
東京を出て、川越までドライブ。いわゆる“小江戸”と呼ばれる、歴史の息づく街並み。景観風致地区に指定され、建造物や看板の色まで厳しく制限された通りで、この鮮やかな水色はひときわ目を引いていた。
けれど、場違いには見えない。むしろ、通りを走り抜けるたびに、その青が背景に新しい輪郭を与える。明るいのに冷たい色調。派手なのに嫌味がない。川越の石畳と古い街灯に、このマイアミブルーは意外なほどしっくりと溶け込んだ。
マイアミブルー。2016年当時のカラーパレットに突如として現れたこの色は、ポルシェのラインナップのなかでも異色の存在だった。たしかに、ポルシェにはガーズレッドやレーシングイエローといった感情的な色もある。けれど、このブルーにはそれらとは異なる温度がある。
ただの鮮やかさではなく、空気をすっかり塗り替えてしまうような清涼感。曇り空でも、雨の日でも、この色のクルマで走り出せば気分はスカッと晴れる。そんなふうに気持ちを明るくしてくれる色だ。
内装は一面、深い赤で包まれている。しかも、標準的なレザー風パネルではなく、ダッシュボードやドアトリムにまでレザーがあしらわれている。つまり「レザーインテリアパッケージ」装着車だ。素材は上質な本革で、あえてシボを抑えた滑らかな仕上げが、深い赤にさらに品格を与えている。
水色のボディと赤いインテリア。文字にすればド派手な組み合わせに思えるが、実物には不思議と不快感がない。むしろしっくりと馴染んでいて、この911だけの一体感をつくっている。
ターボ化エンジンと7速MT
この911が属するのは、2015年に登場した991後期──いわゆる「991.2」だ。この世代から、911は一部を除いてほとんどがターボ化された。環境規制や効率化が求められ、ライトサイジングのターボエンジンが一気に広がった時代。その流れの中で、911もまた大きな転換点を迎えた。
当然、ファンの間では動揺もあった。「レスポンスが鈍るのでは」「音がつまらなくなるのでは」──空冷から水冷へ移行した996の登場時と同じように、技術の進化と感情の摩擦は、このターボ化のときにも少なからずあった。
けれど実際には、3.0リッターのツインターボは明らかに優れていた。370psという出力もさることながら、450Nmのトルクが1,700rpmから立ち上がる。その扱いやすさは、街乗りでもワインディングでも、実感として乗る者に余裕を与えてくれる。
そしてこの個体は、その進化したターボエンジンに7速マニュアルを組み合わせている。ポルシェが世界で初めて市販車に搭載した7速マニュアルだ。
クラッチ操作の節度、シフトフィールの確かさ、そして何より「自分でコントロールしている」という実感。
これだけのトルクを、意図的にギアで使い分けられる感覚は、最新のPDKでは得られない運転する楽しさがある。低回転から厚く立ち上がるトルクと911ならではのしっかりとしたトラクションが、マニュアルとの相性の良さを一層引き立てている。
息づく伝統
この911には、スタイルやドライビングフィールだけでは終わらない実用の安心も備わっている。
段差のある立体駐車場も、コンビニのスロープも怖くない。フロントアクスルリフト(フロントリフター)を搭載しており、スイッチひとつで車高を30mmほど持ち上げることができる。エアサスではない通常のサスペンション仕様でも、この装備があるだけで日常の緊張感が大きく和らぐ。
そして何より心をくすぐるのはイグニッションキーだ。現代のスマートキーながら、ステアリング横には「キーを捻ってエンジンをスタートさせる」ポルシェ伝統のスタイルが残されている。この方式を今も守っているのは、ポルシェの中でも純粋なスポーツカーの血統である911と、718ケイマン/ボクスターだけだ。
これは、かつてル・マンの耐久レースで、ドライバーがキーを捻りながら反対の手でシフトを操作し、一秒でも早くスタートするために考えられた配置だ(1950〜1960年代のル・マンでは、合図と同時にドライバーがマシンに駆け寄って乗り込み、エンジンをかけて走り出すというスタイルが採用されていた)。
そんなポルシェの伝統を感じる瞬間は、ほかにもある。
リアに回れば、テールランプを結ぶ細い光のバーが目に入る。これは、993までの911でおなじみだった、左右を繋ぐ「PORSCHE」ロゴ入りの赤いガーニッシュをルーツに持つ意匠だ。
996世代でこのデザインは一度消えたが、カレラ4Sやターボといった上位モデルにだけ、つながるテールが復活。そして997では再び姿を消し、ようやくこの991.2で再登場することになる。ただし、与えられたのはカレラ4系とターボ系だけ。つまり、この細い一筋の光には「4WDであることの証」としての意味が込められている。
次世代の992では、左右を繋ぐ直線型のテールライトが全グレードに共通装備された。デザインアイコンとして定着したからこそ、991.2のまだ限られたモデルだけに与えられていた仕様には、特別な価値がある。未来の標準をひと足先にまとうような、控えめな誇らしさがあった。
このモデルではなく、この個体
色だけで惹かれるクルマがある。仕様だけで選びたくなるクルマもある。けれどこの個体は、そのすべてがひとつに重なっている。
マイアミブルーという希少なボディカラーに、赤のレザーインテリア。991.2のカレラ4で、7速マニュアル。フロントリフターやBOSEサウンド。無数の選択肢の中から、偶然のように集まった条件が、ひとつの必然としてこの911を形づくっている。
もちろん、911としての完成度は疑いようがない。速く、正確で、どこまでも信頼できる。けれど、この個体が放つ魅力は、そうしたスペック表に収まりきらない。
いくつもの偶然が重なり合い、気まぐれのように生まれた一台が、自分だけを待っていたかのようにそこにいる。
この911は仕様で選ぶクルマではない。「この組み合わせの、この個体を選ぶ」以外にない存在だ。まさに、「指名買い」されるための一台だろう。
SPEC
ポルシェ・911カレラ4
- 年式
- 2016年式
- 全長
- 4,499mm
- 全幅
- 1,852mm
- 全高
- 1,296mm
- ホイールベース
- 2,450mm
- 車重
- 1,505kg
- パワートレイン
- 3.0リッター 水平対向6気筒ツインターボ
- トランスミッション
- 7速MT
- エンジン最高出力
- 370ps/6,500rpm
- エンジン最大トルク
- 450Nm/1,700–5,000rpm
河野浩之 Hiroyuki Kono
18歳で免許を取ったその日から、好奇心と探究心のおもむくままに車を次々と乗り継いできた。あらゆる立場の車に乗ってきたからこそわかる、その奥深さ。どんな車にも、それを選んだ理由があり、「この1台のために頑張れる」と思える瞬間が確かにあった。車を心のサプリメントに──そんな思いを掲げ、RESENSEを創業。性能だけでは語り尽くせない、車という文化や歴史を紐解き、物語として未来へつなげていきたい。