メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

Sクラスが、ただの高級車ではなく“立場そのもの”だった時代がある。2012年式W221後期型は、その空気と成熟した乗り味を、過不足なく今に伝える存在だ。静かに、だが確かに、Sクラスに乗る意味を思い出させてくれる。

Sクラスが、ただの高級車ではなく“立場そのもの”だった時代がある。2012年式W221後期型は、その空気と成熟した乗り味を、過不足なく今に伝える存在だ。静かに、だが確かに、Sクラスに乗る意味を思い出させてくれる。

無言の序列

昨年6月、アナ・ウィンターが、約37年間務めたアメリカ版Vogueの編集長を退任するというニュースが流れた。一つの時代が終わった、という言葉がこれほど似合う人物もいない。

そのアナ・ウィンターをモデルにしたと言われている“鬼編集長”が登場する小説、そして映画『プラダを着た悪魔』が公開されたのは2006年のことだ。

劇中で、編集長ミランダはニューヨークでもパリでも、同じクルマに乗っている。それが、メルセデス・ベンツのSクラスだった。

ニューヨークではシルバー。パリではブラック。台詞で説明されることはない。だが、その違いも含めて、彼女の立場や都市の空気が、自然と伝わってくる。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

Sクラスとは、そういう存在だった。世界のどこにいても意味が通じ、肩書きを語らずとも序列が理解される──“象徴”としてのクルマ。

映画のクライマックスが車内で描かれるのも印象的だ。外界から切り離された静かな空間で、仕事も人生も決まっていく。

そしてこの2012年式のSクラスは、まさにその空気を、完成形のまま留めている一台だ。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

力を使い切らないという贅沢

このS350に搭載される3.5リッターV6自然吸気エンジンは、数値だけを見れば控えめに映る。だが走り出してまず感じるのは、速さではない。

アクセルを踏み込んでも、クルマは急には前に出ない。反応はあくまで穏やかで、意図的にペースを抑えているようにも思える。回転は静かに上がり、音も振動も前に出てこないまま、速度だけが少しずつ積み重なっていく。

しばらく走って、ようやく腑に落ちる。これは遅いのではなく、このクルマなりのリズムなのだと。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

Sクラスは、ドライバーを急かさない。力を一気に解放することも、踏ませることもせず、常に余白を残したまま進む。

その感覚に身体が馴染んだとき、初めてこのエンジンの質が見えてくる。

7速ATも同様で、変速を意識させる場面はほとんどない。どの速度域でも「まだ先がある」と感じさせる余白があり、踏み込まなくても流れに乗れてしまう。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

足まわりは路面をいなすが、切り離しすぎない。大きなボディを持て余す感覚はなく、直進安定性は極めて高い。結果として、車内では身体が前後左右に振られにくく、静けさが保たれる。この落ち着きが、標準ボディであっても空間を広く感じさせる理由かもしれない。

Sクラスの乗り味とは、力を使い切らない状態がずっと続くこと。その継続性そのものが贅沢だった。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

思想が結実した完成度

この個体は2012年式。2013年のフルモデルチェンジを目前に控えた、W221型Sクラスの最終後期型にあたる。

初期モデルで提示された思想が、試行錯誤を経て、現実の完成度として結実した段階だ。

外観は、過剰な威厳を削ぎ落とし、端正さと清潔感を前に出した。内装も同様で、豪華さの量を誇るのではなく、視覚的なノイズを減らす方向へと整えられている。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

制御面の進化はさらに大きい。BlueEFFICIENCY世代では、エンジンとATの協調が洗練され、発進から巡航までの流れが一層滑らかになった。

アダプティブクルーズコントロールも、介入しすぎない自然な制御が特徴だ。速さや先進性を誇示するのではなく、運転の質を壊さない。その距離感が、この世代のSクラスらしい。

様々な面で進化した現代のクルマに乗り慣れていても、このW221後期型に乗ったあとには、確かに「Sクラスに乗っている」という満足感が残る。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

Sクラスを“体験”する

この個体は、W221型Sクラスの最終盤に用意された「グランドエディション」。世代の締めくくりとして仕立てられた、集大成的な仕様だ。

装備や内外装のバランスが取れ、Sクラスらしい空気が最も自然な形で残されている。

S350というグレード選択も的確で、主張しないV6と穏やかな制御が、このクルマの性格とよく合っている。

15000kmという走行距離の少なさに加え、ATオーバーホールやラジエター交換といった要所が手当てされている点も重要だ。過去の象徴を懐かしむための個体ではなく、これから体験するための下地が整っている。ダイヤモンドホワイトのボディカラーも、威圧でも事務性でもない、適切な距離感を保っている。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気

このSクラスは、威張るための道具ではない。

だが、かつてSクラスが背負っていた空気を、もっとも無理なく体験できる一台だ。

静かに走り、余力を残し、決断の場として機能していた時代のSクラス。その感触が、今もきちんと残っている。

メルセデス・ベンツ・S350(FR/7AT)Sクラスが背負っていた空気
  • 中園昌志 Masashi Nakazono

    スペックや値段で優劣を決めるのではなく、ただ自分が面白いと思える車が好きで、日産エスカルゴから始まり、自分なりの愛車遍歴を重ねてきた。振り返ると、それぞれの車が、そのときの出来事や気持ちと結びついて記憶に残っている。新聞記者として文章と格闘し、ウェブ制作の現場でブランディングやマーケティングに向き合ってきた日々。そうした視点を活かしながら、ステータスや肩書きにとらわれず車を楽しむ仲間が増えていくきっかけを作りたい。そして、個性的な車たちとの出会いを、自分自身も楽しんでいきたい。

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