RVブームの1990年代に生まれたスズキX-90。挑戦的で、遊び心全開のまま四駆とクーペを融合させた唯一無二の存在だ。その“迷作”に触れることは、自動車文化の奥行きを思い出させてくれる体験でもある。
おもちゃのような
この車のことは知らなかったし、もちろん目にするのも初めてだ。
それもそのはず、国内販売はわずか1400台足らずという。理由はもちろん、売れなかったからである。
初めて見た時は、同じスズキのカプチーノかと思った。
小さなボディに丸みを帯びたキャビン、どこか愛嬌のある佇まい。しかしよく見ると車高がやけに高いし、タイヤもゴツい。リフトアップされた改造車両かと疑ったが、そうではないらしい。
当時の言葉を借りるなら「四駆」のようでいてクーペのような、説明のつかないフォルムがそこにあった。
見たことのない車のはずだが、どこか既視感がある──ああ、チョロQだ。それも箱に描かれていたイラストそのままのような。
アンタスレッドの鮮やかな赤いボディ。白い純正ホイール。90年代らしいカラフルなファブリックで覆われたシート。どこから眺めても奇妙で、どこから眺めても愛らしい。
その体裁は外観だけではなく、乗った瞬間からも感じられる。
シートに身を沈めると頭上はTバールーフ、足元はラダーフレーム由来の重厚さ。エンジンをかけて走り出すと、小気味よく軽い身のこなしと、四駆ならではの頼もしさが同居している。
そしてルーフを外してオープンにすれば、頭上には空が大きく広がり、緑の匂いや風の気配がそのまま流れ込んでくる。軽やかさと力強さが入り混じった、不思議な解放感だ。
実用車からはほど遠い。けれど“おもちゃ”として眺めれば、どうしようもなく魅力的なクルマだ。
唯一無二の時代錯誤感
X-90を現代風に表すなら「2ドアクーペSUV」だが、それでは不十分だ。
そもそも当時の日本では、「SUV」という言葉すら一般的ではなかった。パジェロやランドクルーザーのようなクルマは、ひとまとめに“RV(レジャービークル)”と呼ばれ、日常的な会話ではただ“四駆”と表現されていた。
クーペSUVと呼ばれるモデルは今や数多い。BMW X6やメルセデス・ベンツGLC/GLEクーペ、アウディQ3/Q5スポーツバック…。しかしそれらはすべて4ドア+ハッチバックで、実用性を確保した“クーペ風SUV”である。
だが、X-90は違う。
2ドアで、トランクはセダンのように独立し、しかもTバールーフでオープンにもできる。四駆に期待される実用を切り落とし、むしろ純粋な形で“クーペスタイルの四駆”を試みたような存在だ。
そもそもクーペとは、実用をある程度犠牲にしてこそ成立するジャンルだ。その点でいえば、X-90は四駆でありながら、むしろ“しっかりとクーペしている”とも言える。
当時の日本はRVブームのまっただ中。広さや多用途性を備えたクルマが求められていた。そんな時代に、2人しか乗れず、荷物も積めないX-90が登場したのだ。
四駆とクーペを組み合わせるという発想が30年近く前にすでに形になっていた。だがそれは、時代を先取りしたというより、時代の文脈と真逆を向いていた。
だがその逆説的な“時代錯誤感”こそ、今となってはこのクルマが唯一無二の証である。
スズキという土壌の上に
では、なぜこんなクルマが世に出たのか。答えはスズキというメーカーの特異性にある。
スズキは小型実用車のイメージが強い。だがその歴史を振り返れば、しばしば常識外れの発想を持った冒険作を投入してきたメーカーでもある。
軽ピックアップのマイティボーイ。軽スポーツカーのカプチーノ。世界最小ハイブリッドのツイン。そしてこのX-90。
売れるかどうかは二の次、面白いと思ったら形にしてしまう。その懐の深さが、時に珍車を、そして名車を生むのだ。
名車の系譜を振り返れば、枚挙にいとまがない。ジムニーは世界の小型クロカンのアイコンとなり、スイフトはコンパクトカーのベンチマークに成長。ハスラーは軽クロスオーバーという新ジャンルを開拓した。
アルトやエスクードといった普遍的モデルも含めれば、スズキは「小さなクルマの名手」と呼ぶにふさわしい。
しかも2025年上半期、スズキは世界販売でトヨタ、ホンダに次ぐ、国産メーカーとして3位に浮上した。小型車を得意とする“スモールカーメーカー”が、いまやグローバル市場で存在感をさらに増している。
そんな実直なメーカーが、ときに常識外れの遊びをも受け入れてしまう。
その懐の広さこそが数々の名車を生み出してきた源泉であり、X-90もまたその土壌を体現した一台だろう。
車文化の奥深さに触れる
X-90を走らせていると、やはり奇妙な感覚に包まれる。
2人しか乗れないのに、ラダーフレームと4WDで悪路にも対応する。1.6リッターの直4は95ps前後と控えめだが、このサイズのボディにはちょうど良い。
SUVらしい視点の高さと、クーペらしいタイトなコクピット。その両極が共存しているだけで、合理から外れているのに、妙に心地よい。
合理性を求めれば、買う理由はほとんど見つからない。だがそうした“不合理”をきちんと形にしてしまった事実にこそ意味がある。
もしクーペSUVという発想を数十年先取りしたのだとすれば、それを本当に市販化したスズキの英断に敬意を表したくなる。
X-90は歴史の本流にはならなかった。
だが名車と呼ばれるクルマの陰に、こうした“迷作”が存在していたからこそ、自動車文化は豊かで面白い。
だから、このX-90のようなクルマに触れることは、ただ珍しい存在を愛でるだけでなく、自動車文化の脇道を散策するような体験なのかもしれない。
そう、チョロQに夢中になっていたあの頃のように。
SPEC
スズキ・X-90
- 年式
- 1997年式
- 全長
- 3710mm
- 全幅
- 1695mm
- 全高
- 1550mm
- ホイールベース
- 2200mm
- 車重
- 1160kg
- パワートレイン
- 1.6リッター直列4気筒
- トランスミッション
- 4速AT
- エンジン最高出力
- 95ps/5600rpm
- エンジン最大トルク
- 135Nm/4000rpm
中園昌志 Masashi Nakazono
スペックや値段で優劣を決めるのではなく、ただ自分が面白いと思える車が好きで、日産エスカルゴから始まり、自分なりの愛車遍歴を重ねてきた。振り返ると、それぞれの車が、そのときの出来事や気持ちと結びついて記憶に残っている。新聞記者として文章と格闘し、ウェブ制作の現場でブランディングやマーケティングに向き合ってきた日々。そうした視点を活かしながら、ステータスや肩書きにとらわれず車を楽しむ仲間が増えていくきっかけを作りたい。そして、個性的な車たちとの出会いを、自分自身も楽しんでいきたい。