最新の技術で磨かれた高性能や快適さも楽しい。だが生々しく操る原初の楽しさを思い出させてくれるのが、このケータハム・セブンだ。
原初の楽しさ
「ガソリン臭くて、燃費が悪くて、音がいっぱい出る、野性味あふれるクルマが好き」──豊田章男トヨタ自動車会長が、あるトークショーでそう本音を語っていた。
最新のクルマは、騒音や環境性能の名のもとに数々の制約を背負っている。その代わりに、最新技術に支えられた高い走行性能や快適性を楽しむことができる。それはそれで確かな魅力だ。
けれどその一方で、クルマそのものを生々しく操る原初的な楽しさは、いつの間にか薄れてしまったようにも思う。
もしその野性味を真正面から体現しているクルマがあるとしたら──この「セブン」ほど相応しい存在はない。
鉄のパイプで組まれたフレームに小さなエンジンを積み、タイヤを四隅に張り出しただけの姿。機能以上も以下もない純度の高さが、まさに“楽しいとはこういうこと”と教えてくれる。
操るためのポジション
セブンに乗るのはこれが初めてではない。
それでもやはり、フレームをまたぎ、深く腰を落とすようにしてコクピットへ潜り込んだ瞬間に感じるのは、その狭さだ。
ペダル同士の距離は極端に近く、足の指先を折り畳むようにしなければならない。だが不思議なことに、数分もするとその環境が自然に思えてくる。レースカーに押し込まれたような圧迫感は、次第に“操るための正しいポジション”に変わっていく。
キーを回し、スターターボタンを押す。けたたましいセルモーターの音がガレージの壁を叩く。数拍遅れて火が入り、1.6リッター直列4気筒が吠えた。
直接的なエンジン音とエグゾーストノートが重なり、胸の奥にまで響いてくる。最近のクルマでは聞かなくなった生々しい音に、思わず笑みがこぼれる。
小さなステアリングを握る感覚は、まるでゴーカートの延長線上にあるようだ。違うのは、目の前に広がる世界が本物の道路だということ。
拡張される五感
シフトレバーを1速に押し込む。
ガチャッと「金属棒を機械に突っ込む」ような手応え。遊びは少なく、曖昧さもない。クラッチは意外なほど素直で、難なく走り出せる。
わずか1.6リッターのエンジンは、600kgにも満たない軽量ボディには必要十分。FRのレイアウトと相まって、加速も旋回も軽やかで、まさに“ライトウェイト”という言葉の意味を身体に叩き込んでくる。
視座は異様なほど低い。普通に生活していればありえない高さから路面を見下ろす。知っているはずのこの光景も、乗るたびに新鮮に感じられる。
アスファルトの粒子が目前に迫り、ステアリングを切ればタイヤが目の端で向きを変える。操縦しているというより、機械に組み込まれて動いている感覚に近い。
風が全身を叩き、排気音が耳を圧迫する。常識的に考えれば騒音の塊の中にいるはずだ。だが不思議なことに、森の鳥の声や虫の音がはっきりと耳に届いてくる。
雑音に覆われるはずなのに、大切な音だけが浮かび上がる。
セブンを走らせていると、耳も目も鼻も、日常では眠っていた感覚が次々と呼び覚まされる。
それは速さや数値で測れるものではない。感覚が研ぎ澄まされ、世界が拡張していくこと自体が“楽しい”の本質なのだと気づかされる。
ケータハムという安心
ケータハムはもともとロータスの販売代理店兼チューニングショップだった。1973年、ロータスがセブンの生産をやめた際に製造権を引き継ぎ、以来この形を守り続けている。
数あるレプリカ・セブンの中でも、正統を受け継いだ元祖であり、今なお続く老舗だ。
ケータハムはいまでも、小さなファクトリーで昔と変わらず手作業による組み立てを続けている。大規模メーカーのように大量生産の合理性を追い求めることもなく、一台ずつ丁寧に仕上げられていく姿勢がこのブランドの根幹にある。
改良といえば、法規制やユーザーの要望に合わせた小さな積み重ねだけだ。それでも根幹は変わらない。フレームにエンジンとタイヤを載せ、走りを突き詰める。その一点にすべてが注がれている。
いまでも新車でこのクラシックを体験できること自体が奇跡に近い。しかも、正規輸入車として安心して維持できる環境まで整っている。
時代錯誤のようでいて、実は現代にこそ必要とされるクルマなのかもしれない。
楽しさの本質
セブンに乗ると、「不便」や「うるさい」といった形容が、すべて「楽しい」に変換される。
乗り込んだ狭さも、排気音も、風圧も、全部が心地よい。むしろそれがなければ成立しない。
ガレージにこのクルマがあるというだけで、日常までも楽しく変わってしまう。
例えばちょっとした買い物や用事でも、森の中や海沿いの道を抜けるのなら、天気さえ良ければセブンで出かけてみたくなる。
すぐには出発できないこともある。冬にはしばらく暖気が必要かもしれない。だがその準備の時間さえ、所有者にとっては愛おしい。
快適さや効率性を突き詰めたクルマでは、決して触れられない領域がある。ケータハム・セブンはその扉を、今も軽々と開けてみせる。
楽しいとはこういうこと──そう言い切れる一台が、いま目の前に存在している。
SPEC
ケータハム・セブン270S
- 年式
- 2023年式
- 全長
- 3,100mm
- 全幅
- 1,575mm
- 全高
- 1,110mm
- 車重
- 約550kg
- パワートレイン
- 1.6リッター直列4気筒
- トランスミッション
- 5速MT
- エンジン最高出力
- 135ps/6800rpm
- エンジン最大トルク
- 160Nm/4100rpm
河野浩之 Hiroyuki Kono
18歳で免許を取ったその日から、好奇心と探究心のおもむくままに車を次々と乗り継いできた。あらゆる立場の車に乗ってきたからこそわかる、その奥深さ。どんな車にも、それを選んだ理由があり、「この1台のために頑張れる」と思える瞬間が確かにあった。車を心のサプリメントに──そんな思いを掲げ、RESENSEを創業。性能だけでは語り尽くせない、車という文化や歴史を紐解き、物語として未来へつなげていきたい。