理屈やスペックよりも先に、感情が動く瞬間がある。フィアット600ハイブリッドは、そんな素直なときめきを思い出させてくれる一台だ。走りも佇まいも過不足なく、ただ自分の時間を心地よくしてくれる存在。
理屈を追い越す感情
同じ車種、同じ色のクルマとすれ違った瞬間だった。
それは珍しさでも、新しさでもない。衝撃的なまでに「かわいい」と思えたという、もっと単純で抗いがたい感情だった。
クルマに対して「かわいい」という言葉を使うことには、少し照れがある。けれど、あの瞬間の感覚は評価や分析ではなく、ただ身体が先に反応した――そう表現するほうが正しい。
この600は、そんなふうに理屈を追い越してくるクルマだ。
実際に試乗してみると、その印象はさらに輪郭を持ちはじめる。
かわいいは正義
先代の500Xと比べると、このクルマはずいぶんと煮詰まった存在に感じられる。
500Xは、どこかボディに緩さがあり、その上に硬い脚が載っているような印象があった。足まわりが本来の動きをしきれていない、ちぐはぐさが残っていた。
600は違う。
ボディと足まわりが、きちんと会話している。無理にスポーティさを装うこともなければ、快適さだけに振り切るわけでもない。
「これで十分」ではなく、「これがちょうどいい」と思わせる。
このクルマに乗っている時間は、不思議と満たされる。それは性能が突出しているからでも、価格に対して合理的だからでもない。
たとえ隣に高級車や明確なステータスを背負ったモデルが並んでいたとしても、引け目を感じない。
600が持つ「かわいさ」や佇まいが、それだけで価値として成立しているからだ。
いい時間
誰かに誇るためではなく、自分の時間をきちんと楽しむためのクルマ。
そういう存在がそばにあると、日常の輪郭は少しだけやわらぐ。
クルマの楽しさは、正解を選ぶことではない。人それぞれに、ふと心に残る一台との出会いがある。
それが高価でなくても、速くなくてもいい。
ただ「いい時間だった」と思えれば、それで十分だ。
そんな出会いがまだ残っているから、クルマ好きはやめられない。

河野浩之 Hiroyuki Kono
18歳で免許を取ったその日から、好奇心と探究心のおもむくままに車を次々と乗り継いできた。あらゆる立場の車に乗ってきたからこそわかる、その奥深さ。どんな車にも、それを選んだ理由があり、「この1台のために頑張れる」と思える瞬間が確かにあった。車を心のサプリメントに──そんな思いを掲げ、RESENSEを創業。性能だけでは語り尽くせない、車という文化や歴史を紐解き、物語として未来へつなげていきたい。


















