ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

660ccターボ、80ps。数値だけ見れば控えめだが、セブン160は「遅い、だが楽しい」を真正面から肯定する。速さを削ぎ落とし、操作の歓びだけを純化したこの一台は、セブンという存在の別の完成形を静かに示してくる。

660ccターボ、80ps。数値だけ見れば控えめだが、セブン160は「遅い、だが楽しい」を真正面から肯定する。速さを削ぎ落とし、操作の歓びだけを純化したこの一台は、セブンという存在の別の完成形を静かに示してくる。

回さなくても前に出る

このセブン160に触れて、最初に違和感を覚えるのは「思ったより普通に走る」という点だ。

660ccという排気量から想像する軽さや非力さとは裏腹に、走り出しは拍子抜けするほど素直だ。

660cc“なのに”と感じさせるその余裕は、ターボによって下から厚みを持たせたトルクによるものだ。セブンという存在に、意外なほど穏やかな表情を与えている。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

もちろん速くはない。だが、踏み始めの反応が素直で、街中の流れに自然に溶け込む。エンジンを叩き起こさなくても走れるという事実は、セブンにとっては小さくない変化だ。

原初的な楽しさとは、必ずしも高回転でエンジンを叫ばせることだけを指さない。アクセル操作に対して、即座にクルマが応答すること。その素直さもまた、野性の一部なのだと、この160は教えてくる。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

80psだから許される全開

セブン160の最高出力は約80ps。

数字だけ見れば、いまどきの軽自動車よりも控えめだ。

だが、このパワー設定こそが、160の核心でもある。

速くないからこそ、常に全開で走れる。常に限界を使い切れる。

アクセルを踏み切ることに、躊躇がない。

結果として、ドライバーは操作そのものに集中できる。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

1.6リッターのセブンが「速さ」と「楽しさ」を紙一重で成立させていたとすれば、160は意図的に速度を引き下げることで、楽しさだけを抽出しているようにも感じられる。

遅い。だが、間違いなく楽しい。

そしてその楽しさは、誰にでも開かれている。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

扱いやすさが拓いた日常性

セブンというと、日常とは切り離された存在というイメージが先に立つ。だが160に関して言えば、その距離感は驚くほど近い。

発進は穏やかで、クラッチも扱いやすい。低速域でギクシャクすることもなく、渋滞や住宅街でも神経をすり減らさずに済む。ターボエンジンの恩恵は、こうした場面でこそはっきりと現れる。

この個体には幌とサイドスクリーンが付く。それだけで、セブンは「天気を選ぶ趣味」から「天気と付き合う相棒」に変わる。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

特別な日にだけ引っ張り出す存在ではない。

少し遠回りして帰りたくなった日や、朝の空気が澄んでいる日にも、自然と鍵を手に取れる。

非日常であることは変わらない。だが、その距離が一歩近い。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

軽登録が示す合理性

セブン160は、日本では軽自動車登録となる。

維持費が抑えられるという現実的な利点もあるが、それ以上に象徴的なのは、そのサイズ感と思想だ。

小さく、軽く、最低限。

装備も性能も、足し算ではなく引き算で成立している。

余計なものがないから、感情が濁らない。

何をしているクルマなのかが、常に明確だ。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい

1.6リッターのセブンが、純粋なスポーツとしての原点を体現しているとすれば、160はその楽しさを、まったく別の性格で成立させている存在だと言える。

これは妥協したセブンではない。

楽しさを薄めることなく、一つの性格として完成したセブンだ。

セブン160は、速さを誇るためのクルマではない。

だが、クルマを操る時間そのものを、自然体で楽しみ続けたい人にとって、この潔さは何より魅力的に映る。

——楽しいとはこういうこと。

その意味を、真正面から示してくれる一台である。

ケータハム・セブン160(FR/5MT)遅い、だが楽しい
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