クルマに乗るとき、こちらの“構え”が試されることがある。BYDドルフィンは、まさにそんな一台だった。中国車、新興ブランド、EV。理屈では理解していても、感性はまだ半歩遅れている。その状態でキーを握り、静かに走り出す――拍子抜けするほど、普通だ。いや、普通以上にちゃんとしている。
パッケージングの「正解」
このクルマ、何よりもサイズ感がいい。大きすぎず、小さすぎず、背伸びもしない。
日本のEVを思い返すと、軽EVは用途が明確に限られるし、日産リーフはすでに“ちょっと上の存在”になっている。
その狭間で、生活の真ん中に自然と置けるEVとして、ドルフィンは妙に収まりがいい。
意識も高くないし、未来を語りすぎもしない。
ただ、「今の日本で使うクルマ」としての解を、淡々と差し出してくる。
思想よりも感覚が先に立つ走り
アクセルを踏んで最初に感じたのは、「あ、これ足がいいな」という素朴な印象だった。
しっとりしている。ダンパーが丁寧に仕事をしていて、入力を荒く返さない。EV特有の重量は確かにあるが、それをネガティブに感じさせないまとめ方だ。
このクラスのEVで、乗り心地を“質感”として語れるクルマは、実は多くない。ドルフィンは、その少数派に入る。
速さや刺激を誇示するわけでもない。ただ、日常の速度域で「クルマはこう動けば十分だ」と静かに頷かせてくる。
それでも残る名前のない違和感
問題は、ここからだ。
悪いところは、正直ほとんど見当たらない。価格も、性能も、乗り味も、きわめて合理的だ。
それでも、心のどこかで感情が一歩引いている。
理由ははっきりしない。
デザインなのか、ブランドなのか、あるいは“BYD”という3文字がまだ持つ距離感なのか。
ただ、その違和感はクルマの出来とは別次元のものだ。
先入観を外し、ただのコンパクトEVとして向き合えたなら――ドルフィンは驚くほど誠実で、良心的な選択肢になる。
敬遠する理由はない
ドルフィンは、声高に主張しない。
夢も語らない。未来感も、あえて抑えめだ。
その代わりに、「ちゃんとした移動の質」を黙って差し出してくる。
欲しくて指名買いするタイプというより、気がつけば隣にいて、「ああ、これでよかった」と思わせる存在に近い。
少なくとも言えるのはひとつ。
このクルマを“中国車だから”という理由だけで判断しない時代に、私たちはもう足を踏み入れている。














