特別ではないからこそ、見えてくる本質がある。この4代目シビックのベースグレードに、ホンダというメーカーの哲学が滲む。
ホンダ車の“匂い”
赤と黒のツートンに、鉄チンホイール。一見して“あの時代の大衆車”らしい佇まいだ。けれどそこには、古臭さよりも潔さを感じる。
全高は低く、前後にかけて伸びやかなプロポーションを描く。現代の車のように無理に4ドア化しなかったからこそ、ドアが大きく、ボディラインがより伸びやかで美しい。
ピラーの位置はシートよりもずっと後ろにあり、シートベルトを取ろうとすると手が空を切るほど。だがその構造が、視界の広さと車体の軽快な印象を生み出している。
乗り込んだ瞬間に感じたのは、“匂い”だった。以前、1985年式シティ・ターボIIに乗ったときと同じ空気感。
見た目も性能もまったく違う2台なのに、そこに共通するホンダの空気がある。
軽やかで、誠実で、どこか真面目な温度。それがこのシビックの第一印象だ。
モケットシートはバケット風の形状で、見た目以上にしっかりしている。体を包み込みながらも硬すぎず、ホールド感は絶妙。
ベースグレードだから簡素という先入観を覆してくる。運転姿勢が自然に決まり、視線がまっすぐ前へ伸びる。
そして何より、この個体の状態が素晴らしい。ワンオーナーで、走行わずか2.9万km。
ファブリックの張りも、スイッチのクリック感も、経年をほとんど感じさせない。35年前の車とは思えないほど、張りのある空気を纏っている。
それは単なる保存状態の良さではなく、前オーナーに大切に扱われてきたことが伝わってくる。
遅い車のスポーティさ
キーをひねり、軽くアクセルをあおる。わずか1.3リッターの直列4気筒が、想像以上に軽やかに回る。
実際に走らせてみると、決して速くはないし、スポーツモデルのように高回転域まで引っ張れるわけでもない。
けれど、遅い車ならではのスポーティさがある。アクセルの踏み込みに正直で、回転は軽く、反応は機敏。5速MTがそのリズムを際立たせ、ギアを繋ぐたびにエンジンとの呼吸が合っていくのがわかる。
街の流れに埋もれることもなく、現代の車たちの間を軽やかに走る。数字の上では非力でも、このテンポが心地いい。
ステアリングは細身の大径。それは相対的に車を小さく感じさせ、わずかな舵角でも前輪の動きが追従するような感覚がある。
その感覚の裏には、明確な技術的理由がある。
このシビックは、前後ともダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用している。
本来なら高級車やスポーツモデルに使われる構造を、ホンダはあえて大衆車のベースグレードにも採用した。コストも、スペース効率も、他社のストラット式やトーションビームに比べて圧倒的に不利。
それでも、「走りの質」を犠牲にしないという理想を優先した。
その結果、足まわりは路面の動きを正確に捉え、驚くほど自然な姿勢で曲がる。この“動きの正確さ”こそ、ホンダが車づくりにおいて最も大切にしてきた部分なのだろう。
スピードではなく、挙動そのものの美しさ。ベースグレードという最もシンプルな仕様だからこそ、その思想がまっすぐに表れている。
エンジンに刻まれた哲学
この4代目シビックの話をするとき、多くの車好きは「なんだ、SiRじゃないのか」とがっかりするかもしれない。
だが、もしこれがSiRだったなら——。軽快な吹け上がりも、前後ダブルウィッシュボーンのサスペンションも、“スポーツモデルなら当然のもの”として、きっと当たり前に受け流されてしまうだろう。
大衆車の、それもベースグレードにまで同じ設計思想を注ぎ込んだ事実にこそ、ホンダというメーカーの哲学が見えてくる。そして、ベースグレードだったからこそ、飾られず、改造されず、35年を経た今もこのピュアな姿を保っている。
ボンネットを開けると、エンジンに刻まれた「HONDA MOTOR CO.」の文字が見える。
会社名は本田技研工業株式会社だが、英語表記は現在もHONDA MOTOR CO., LTD.
“技研”ではなく、“MOTOR”。
「エンジン屋」としてのホンダの矜持を、この刻印が静かに物語る。
その矜持をまっとうするために、ホンダは構造を磨き、設計を突き詰めた。高性能車でなくとも、大衆車であろうとも、「走りへのこだわり」を決して捨てなかった。
そんなホンダの哲学を、このシビック23Lはいまも体現している。
SPEC
ホンダ・シビック 1.3 23L
- 年式
 - 1990年式
 - 全長
 - 3,975mm
 - 全幅
 - 1,675mm
 - 全高
 - 1,335mm
 - ホイールベース
 - 2,500mm
 - 車重
 - 約870kg
 - パワートレイン
 - 1.3リッター直列4気筒
 - トランスミッション
 - 5速MT
 - エンジン最高出力
 - 82ps/6,000rpm
 - エンジン最大トルク
 - 105Nm/3,500rpm
 

中園昌志 Masashi Nakazono
スペックや値段で優劣を決めるのではなく、ただ自分が面白いと思える車が好きで、日産エスカルゴから始まり、自分なりの愛車遍歴を重ねてきた。振り返ると、それぞれの車が、そのときの出来事や気持ちと結びついて記憶に残っている。新聞記者として文章と格闘し、ウェブ制作の現場でブランディングやマーケティングに向き合ってきた日々。そうした視点を活かしながら、ステータスや肩書きにとらわれず車を楽しむ仲間が増えていくきっかけを作りたい。そして、個性的な車たちとの出会いを、自分自身も楽しんでいきたい。
























