- 日産 / フィガロ(1991)
デトックスしたいなら
限定生産の小さなコンバーチブル、日産フィガロ。数字では語れない開放感と、淡い光に満ちた優雅な室内。何も足さず、何も奪わず、ただ走る。それだけで、心を整える時間をくれる一台だ。

パイクカーの集大成
Be-1、PAO、S-Cargo──1980年代後半から日産が次々と送り出したパイクカーシリーズ。その最終作にして集大成が、フィガロだ。
1991年に2万台だけ生産されたこの小さなコンバーチブルは、シリーズの中でも特に上級仕様だった。
コンパクトながら優雅な佇まいと、本革シート。パワステやパワーウィンドウ、エアコンも、当時は上位モデルにしか装備されていないような贅沢な装備だった。
当時の新車価格は約190万円。サニーやブルーバードよりも高く、シルビア(S13)の上位グレードと同等。それでも抽選販売では希望者が殺到し、予定台数を大幅に超える応募があった。
そして、日本でのブームが落ち着いたころ。クラシックカー愛好家の多いイギリスで「レトロで信頼性の高い右ハンドル小型車」として改めて評価され、個人輸入が一つのムーブメントになった。最終的には4,500台以上のフィガロがイギリス国内で登録されたと言われている。
いまでも現地には専門ショップが存在し、パーツ供給も途絶えることなく続いている。Figaro Owners Club UKというコミュニティのサイトをのぞけば、フィガロを楽しむオーナーたちの姿を見ることができる。
もちろんこの日本でも、フィガロを愛し続ける人たちは少なくない。この個体もまた、30年以上前の車とは思えないほど良好なコンディションから、大切に乗り継がれてきたことが伝わってくる。
優雅さを生み出すもの
ドアを開けて最初に目に飛び込むのは、白に近い明るいベージュでトーンコーディネートされた空間だ。黒やグレーの樹脂パーツで覆われた最近の車に慣れていると、この色調だけでもう特別感がある。
フルレザー仕様のシートには、縦方向のチャンネルステッチ(バーティカルプリーツ)が施され、触れるとしっとりと柔らかい。厚みのある座面は、まるでミッドセンチュリーのクラブチェアを思わせる。
ダッシュボードも、ドアトリムも、何かを強調しようとする装飾がほとんどない。スイッチ類は小さく、メーターも必要最低限。おもちゃの宝石のように小さなインジケーターランプが横一列に並び、柔らかな光を灯すだけで、操作をせかすことはない。
メーターやスイッチパネルの文字は、一般的なサンセリフ(ゴシック体)ではなく、どこか装飾のあるセリフ体やスクリプト体を思わせる書体が選ばれている。その雰囲気は、工業製品というよりも、ヴィンテージのカフェ看板や洋書のタイトルを連想させる。
それは、まるでクルマというより、“動くインテリア”のようだ。
視認性や操作性が多少犠牲になっても、そのムードを優先する潔さ。淡い色調とシンプルな面構成が空間に余白をつくり、過剰な情報や機能を手放すことで、フィガロが目指した優雅さを生み出している。
あれもこれもと詰め込みがちなデザインの世界で、何を一番大事にするかを最後までぶれずに貫くことの大切さを、このフィガロは教えてくれているようだ。
余白が生む開放感
腰を落とし、頭をかすめる屋根に気をつけながら体を滑り込ませると、助手席の同乗者が思わず声を上げた。
「えっ、広いな」
確かに、現代の車の一回りも二回りも小さな外観からは想像しにくい、空間の広がりがある。
けれどそれは、単なる先入観とのギャップだけではない。数字で測れば、この車は全長も全幅も現代のBセグメントに比べて小さい。ホイールベースだって短い。
広く感じる理由はいくつかある。まず、フロントガラスが遠い。そしてピラーが細い。安全性確保のためAピラーが太くなった現代車では得られない、開放的な視界がそこにある。
だが、それらとは違う、もっと何か別の理由があるように思えてならない。そんなことを話しながら走り、たどり着いた結論。
この車は、驚くほど圧迫感がないのだ。
タッチスクリーンもなければ、現代的な機能を呼び出すためのスイッチの群れもない。細いのに芯のある硬さを感じさせる、陶器のような手触りのステアリングにも、余計なものは何ひとつついていない。
淡い色の平らなパネルに、計器やエアコンの吹き出し口が整然と、余裕を持って収められている。その余白の広さが、圧迫感とは正反対の解放感を生んでいる。
スイッチレバーを動かしたときの乾いた手応えや、ウィンカーやインジケーターが淡く灯る光も、どこかアナログで優しい心地よさを支えている。
デジタルから離れて
この心地よさ、何かの感覚に似ていると思った。スマホを家に忘れて出かけたときのあれだ。
通知音やバイブレーション、特に何もないのに暇さえあれば画面を見てしまうことからの解放。そんな一種の清々しさがよく似ている。
まさに、デジタルデトックスという言葉が、このフィガロという車にはしっくりくる。何も足さず、何も奪わず、ただ走る。風を入れて光を浴びる。それだけで十分だと思える。
何かに疲れたとき、キャンバストップを全開にして、夕暮れの海沿いを走る。それだけでいい。
心を整える、そのための空間が、この小さなコンバーチブルには用意されている。









