当時日産は、「社内デザイナー中心のAチーム」「服飾デザイナー中心のBチーム」「イタリア人デザイナーのパオロ・マルティンを中心としたCチーム」の3チームに、当時新型モデルとして投入したマーチを用いて対抗企画を行いました。
結果的にA案、B-1案、B-2案、C案の4タイプが製作され、社内で高い評価を受けたのがB-1案。
つまりBe-1なんです。
販売にあたっては、Be動詞と掛け合わせ、「あなたの一台になる」という意味も込められました。
1980年代の日本車といえば、ヨーロッパや北米メーカーに技術的に追いつき、開発競争の中で常に勝ち続けるため、新しい技術や表現を模索していた時代でした。
しかし、Be-1はその流れとは真逆を行く「ノスタルジック・モダン」を掲げ、当時主流だった角ばったデザインに対し、あえて丸みを強調し、多くの“当たり前”を覆しました。
大きな貢献といえば、「レトロデザイン」という文脈を自動車デザインに持ち込んだことでしょう。現在ではリバイバルデザインは珍しくありませんが、当時メーカー主導でこれを実現した例はほとんどありませんでした。
この自由なスタイリングは、実現するのはかなり困難で、フロントおよびリアのエプロンやフロントフェンダーには、航空宇宙分野にも関わっていた米国GE社と共同開発した樹脂製の「フレックスパネル」を採用。
錆びにくく、軽量で、仕上がりにも優れるこの素材は当時としては最先端。
世界レベルの研究成果がこの可愛いクルマを形作っていたのです。
ボンネットとドアはデュラスチールと、また別の新素材を使っていました。こんなに最先端な素材を使っていますが、組み付けは半分手作業で行われていました。
それでいて、組み付けの工程は半分が手作業。工業製品でありながら、どこかクラフトの温度感を残した一台でもあります。
こうして作られた愛らしいデザインには、キャッチコピーにもなった「ここちよさ優先のナチュラルカー」を採用。カラー名も可愛い、パンプキンイエロー、ハイドレインジアブルー、トマトレッド、オニオンホワイトの4色展開。
販売計画は2年間で1万台とされていましたが、実際には発売からわずか2ヶ月で完売。生産の多くを手作業に頼っていたこともあり、台数は増やされず、その後は抽選販売へと移行しました。
見た目の可愛らしさとは裏腹に、購入者の半数以上は男性だったというデータも残っています。結果として、若い世代を中心に一種の社会現象ともいえるブームを生み出しました。
もしかしたら、行ったことがある方もいるかもしれませんが、当時、青山通り沿いには「Be-1ショップ」と呼ばれるアンテナショップも展開され、クルマ単体ではなくライフスタイルとして提案されていた点も特徴的です。
さらに、Be-1のブランド使用許諾には30社以上が手を挙げ、最終的に8社が公式グッズを展開。文房具など、日常の中でもこの世界観を楽しめる仕掛けが用意されていました。
現在これらを揃えるのは容易ではありませんが、手にしたオーナーが思わず集めたくなる――そんなコレクターズアイテムとしての側面も、このクルマの魅力のひとつです。
Be-1は一見するとどれも同じように見えますが、キャンバストップの有無やAT/MTの選択が可能でした。特にMTは当時から選択率が低く、現在では希少な仕様となっています。
1987年の登場から、まもなく40年。このクルマに乗り込めば、心の余裕を持って欲しいという製作陣が社会に向けたメッセージを、強く感じることができる一台です。

永井陽向 Hinata Nagai
絵本よりも中古車情報誌を隅々まで読み込んでいた幼い頃。それ以来、ずっとクルマに魅せられてきた。高校生の時に初めたInstagram「hinacars」では6年間で2000台以上の写真と解説を投稿。最新モデルから名車と呼ばれるクラシック、そして誰も気に留めないような隠れた一台まで。日々クルマとの新しい出会いがあり、そのたびに胸が高鳴る。その“ワクワク”を、クルマオタクとしての視点で丁寧に言葉へ落とし込みながら、読者のクルマ人生をより豊かにしていきたいと考えている。




















