グラスホッパーチェアとロールスロイス・レイス ブラックバッジ
フィン・ユールの名を語るうえで、チーフテンチェアは避けて通れない存在である。 けれど、同じフィン・ユールの椅子でありながら、グラスホッパーチェアにはまた違った魅力がある。

チーフテンチェアはその名の通り、どこか王の椅子を思わせる佇まい。
大きく構え、空間を支配し、座る者の背中に静かな威厳を与える。
椅子でありながら、そこには家具という言葉だけでは収まりきらない、ひとつの思想のようなものがある。
チーフテンチェアが“成熟した王”の椅子だとするなら、グラスホッパーチェアは、もっと若く、鋭く、しなやかだ。
低く構えた座面。前へ伸びるようなフレーム。細く張りつめた脚のライン。
静かにそこに置かれているにもかかわらず、どこか次の瞬間に跳ね出しそうな気配を持っている。
この椅子を眺めていると、自然とロールス・ロイス レイス ブラックバッジの姿が重なってくる。
ロールス・ロイスというブランドは、本来とても静かな世界の乗り物である。
大きく、重く、なめらかで、世の中の喧騒から乗る人を切り離してくれる。
そこにあるのは速さを誇示するための力ではなく、力をあえて語らないための余裕である。
その中にあって、レイスは少し特別な存在だ。
ファントムやゴーストのように、後席に身を委ねるためのロールス・ロイスではない。
もちろん、贅沢であることに変わりはない。
けれどレイスには、ステアリングを握る人のための空気がある。
長いボンネット、流れるようなルーフライン、2ドアクーペならではの緊張感。
ロールス・ロイスの中にありながら、どこか前へ進む意志を感じさせる。
そして、そのレイスをさらに深く、鋭くした存在がブラックバッジである。
黒を基調とした意匠。
落ち着きの奥に潜む反骨。
静けさの中にわずかに滲む攻撃性。
それは、いわゆるスポーティーという言葉だけで片づけられるものではない。
ロールス・ロイスが持つ気品を壊すのではなく、その気品の奥に眠っていたもうひとつの人格を引き出したような存在である。
グラスホッパーチェアにも、それに近いものを感じる。
北欧家具というと、穏やかで、やさしく、暮らしに馴染むものを想像しがちだ。
けれどこの椅子は、ただ心地よくそこにあるだけではない。
フレームの角度、座面の低さ、背もたれの傾き。
そのすべてに、若い才能がまだ熱を帯びているような緊張感がある。
やわらかい張地に身体を預ける椅子でありながら、見た目にはどこか危うさがある。
優雅なのに、尖っている。
繊細なのに、強い。
そして静かなのに、明らかに動き出す気配を持っている。
この二面性こそ、レイス ブラックバッジとグラスホッパーチェアが重なる理由なのだと思う。
レイス ブラックバッジは、ロールス・ロイスでありながら、ただのショーファーカーではない。
それは後席で過ごすための贅沢ではなく、自らハンドルを握り、夜の道へ出ていきたくなる贅沢である。
速度を荒々しく見せるのではなく、深い静けさの中で、力の存在だけを感じさせる。
グラスホッパーチェアもまた、座るための家具でありながら、ただ身体を休めるためだけの椅子ではない。
眺める者の感性を少し前のめりにさせる。
空間に緊張を生み、そこに置かれるだけで空気を変える。
その佇まいは、どこかクーペのようでもある。
低く構え、長く伸び、流れる。
無駄な装飾で語るのではなく、線そのものが存在感になる。
このデザインの近さも、二つを並べて考えたくなる理由のひとつだ。
チーフテンチェアとロールス・ロイスを並べるなら、それは王の威厳に近い。
しかしグラスホッパーチェアとレイス ブラックバッジの組み合わせには、もう少し個人的で、艶のある時間がある。
それは、誰かに見せるための格式ではなく、自分だけが深く味わうための美意識。
穏やかな贅沢の中に、少しだけ危うさを忍ばせる感覚。
静けさを愛しながらも、退屈には決して寄り添わないという態度。
名椅子も、名車も、本当に魅力的なものは、単に美しいだけでは終わらない。
そこに座る人、そこに乗る人の感情を少しだけ変えてしまう力がある。
グラスホッパーチェアが空間に緊張感を与えるように。
レイス ブラックバッジは、ロールス・ロイスという静かな世界に、ほの暗い高揚感を与えている。
どちらも、品がある。
けれど、ただ上品なだけではない。
その奥に、跳ねるような衝動がある。

18歳で免許を取ったその日から、好奇心と探究心のおもむくままに車を次々と乗り継いできた。あらゆる立場の車に乗ってきたからこそわかる、その奥深さ。どん...
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