ハンス・J・ウェグナーのバレットチェアとマセラティ
# RESENSEのショールームには、車とともに、いくつかの名椅子を置いています。 それは空間を飾るためだけのものではありません。 車を見る時間を、少しだけ深くするためのものです。

立って眺める。
近づいて触れる。
少し離れて、また見る。
車というものは、角度や距離によって印象を変えます。
そして不思議なことに、そこに置かれた家具によっても、その車の見え方は変わっていきます。
今回ご紹介するのは、ハンス・J・ウェグナーのバレットチェア。
1953年にデザインされたこの椅子は、一般的な椅子とは少し異なる出自を持っています。
バレットとは、衣服を預けるためのスタンドのこと。
ジャケットを掛け、座面を起こせば衣類を置くことができ、座面の下には小物を収める場所もある。
つまりこの椅子は、座るためだけに生まれた椅子ではありません。
身支度を整えるための道具。
衣服を休ませるための場所。
そして、それらの機能をひとつの美しい造形へとまとめあげた、少し不思議な椅子です。
背もたれの上部は、まるでハンガーのように左右へ伸びています。
そこから下へ落ちる曲線は、細く、しなやかで、どこか生き物の骨格のようにも見える。
木でできているにもかかわらず、硬さよりも、緊張を帯びた柔らかさを感じさせます。
その姿を見ていると、マセラティのことを思い出します。
とくに、あの頃のマセラティです。
端正でありながら、完全には整いきっていない。
強い存在感を持ちながら、どこか儚い。
美しいのだけれど、その美しさの奥に、少しだけ危うさがある。
マセラティは、ただ速い車ではありません。
ラグジュアリーという言葉だけでも足りない。
スポーツカーという分類にも、きれいには収まりません。
そこには、イタリア車特有の情緒があります。
エンジンの音。
ボンネットの起伏。
グリルの奥に沈む影。
白いボディに走る光のゆらぎ。
機械でありながら、感情のあるもののように見える瞬間があります。
このバレットチェアにも、似た感覚があります。
本来は、とても実用的な椅子です。
ジャケットを掛ける。
衣類を置く。
小物をしまう。
身支度という日常の動作を受け止めるために生まれている。
けれど、目の前に置かれたその姿は、単なる機能の集合には見えません。
むしろ、機能を突き詰めた先に、思いがけず彫刻へ近づいてしまったような佇まいがあります。
そして、作ることの難しさが、そのまま造形の緊張感になっています。
繊細な曲線。
細い脚。
背に走る縦のライン。
座面の奥に隠された構造。
どこか無理をしているようで、けれど破綻していない。
そのぎりぎりの美しさが、この椅子の魅力なのだと思います。
マセラティもまた、そういう車です。
合理だけでつくられた車ではない。
効率だけを求めた車でもない。
完成度という言葉で測るより、情緒や余韻で受け止めたくなる車です。
もちろん、車としての性能はある。
グランドツアラーとしての力強さもある。
けれど、この車の本質は、数字の中には収まりきらない気がします。
光の中で見えるボディの張り。
影の中に沈むフロントマスク。
少し離れて眺めたときの、静かな色気。
そこには、今の車には少なくなった、未完成に近い美しさがあります。
バレットチェアとマセラティ。
一見すると、まったく違うものです。
一方は、デンマークの家具。
一方は、イタリアの車。
けれど、どちらにも共通しているのは、機能から始まりながら、最後には感性に届いてしまうところです。
使うためのもの。
座るためのもの。
走るためのもの。
その目的を果たしながら、同時に、眺める人の心を少しだけ揺らしてくれる。
RESENSEのショールームで、このバレットチェアとマセラティが同じ空間に置かれたとき、そこには単なる展示以上の関係が生まれます。
椅子は、車の前に静かに立つ。
車は、その背後で光を受け止める。
互いに主張しすぎることなく、それぞれの造形が呼応する。
その静かな緊張感の中で、マセラティはただの一台ではなくなります。
そしてバレットチェアもまた、ただの椅子ではなくなる。
名椅子に触れるということは、感性の基準に触れることでもあります。
それは説明されるものではなく、空間の中で自然と感じるものです。
木の質感。
曲線の美しさ。
影の落ち方。
車との距離。
そうした小さな要素が重なったとき、目の前の一台は、少し違った表情を見せてくれます。
バレットチェアの繊細さは、あの頃のマセラティが持っていた儚さとよく似ています。
強さだけではない。
美しさだけでもない。
機能だけでも、性能だけでもない。
そこにあるのは、少し危うく、けれど忘れがたい存在感です。
車を選ぶという行為は、条件を整理することだけではありません。
自分の感性が、どこで反応するのかを確かめる時間でもあります。
ハンス・J・ウェグナーのバレットチェアと、マセラティ。
この二つが並ぶ空間には、ものを選ぶという行為の楽しさが、静かに宿っています。

18歳で免許を取ったその日から、好奇心と探究心のおもむくままに車を次々と乗り継いできた。あらゆる立場の車に乗ってきたからこそわかる、その奥深さ。どん...
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